貧乏大学生だった頃
毎月13万の仕送りで話題になってる大学生もいれば、決して多いとは言えない金額の中でやりくりをしている貧乏大学生もいるわけで、僕はといえば後者だったのだけれども、仕送りの多い友人というものがおらず、みんな仲良く貧乏だったので特に劣等感のようなものは覚えることなく大学生活を満喫できたことは、今でも感謝してるし、無事卒業できたことについても、本当にありがたい話だと思っているところだ。
残念ながら、その後の人生がまるで風来坊よろしく、社会のレールとやらに乗り切れずこんな自営業者などしておって本当に申し訳ない。
大学の性質上(?)、お金持ちのボンボンみたいなやつって本当に少数で、大学という規模にもなると、同級生一人一人の事情なんて到底知り得ることなどできないが、少なくとも自分の周りはみんな貧乏だった。
所謂「お金持ち」や「資産家」のご子息、ご息女というのもいることにはいたのだけれども、ご子息なんかは、高校生の時までは好き勝手させてもらい、誕生日には馬をプレゼントされた話などを聞かされたわけだが、大学生になった途端、親から
「これまで散々好き勝手しただろ? あとは頑張れ?」
などと無一文で放り出され、アパートの手配から何から何まで全て一人でさせられ、仕送りも0円で、最初は右も左も分からず、2日間何も食べられなかった日があっただの、電気が止められて凍えるので一晩宿を提供してくれなど、ほんの1年で貧乏武勇伝の多くを作り上げたみたいなやつだったので、ある意味セーフとしておこう。何がセーフかわからんけど。
ともかく、揃いも揃ってみんな貧乏だったので、とりあえずは学校に行き、授業を受けて、その後はひたすら学食で自由を語らうような日々が続き、ちょっと奮発してコーヒーメーカーなどを買おうものなら、その日から溜まり場は自分の家になってしまうという始末だ。
アルバイトもしてたと言えばしてたけど、じゃぁそれで自分の思うものがなんでも買えるのかと言われればそういうわけでもなく、結局は大半が生活費に消えるし、仲の良かった女の子が必死の家庭教師バイトの結果、2年かけてようやく手にしたヴィトンのバッグを見て大いに盛り上がるというのが、僕らの「あたりまえの」日常だったわけだ。
こういうものって、自分を取り巻く環境によって覚えるものなんて全然変わってくるわけで、例えば毎月13万もの仕送りをもらったとて、東京の生活はお金かかりそうな気がするし、多分歌舞伎町でごっそり持っていかれるものだろうし、周囲が金持ちのボンボンだらけだったら、自分の環境を良しと思えるだろうか。難しい気はする。
そのあたりのお金の価値とか、時間の価値とか、仲間の価値とか、モラトリアムだった時代を抜け、現実を知ってようやく理解が追いつくものだったりして、件の彼を過剰に叩くのもどうなのかなぁとか。
残念ながら僕は部屋代を足しても10万円未満の仕送りだったけれども、それでももらえるだけありがたかったし、田舎だったから割と平気だったし、アルバイトでカバーできたし、そもそもみんな貧乏だからお金を使いたがらないケチンボばかりだったから、劣等感もお金持ちに対する羨望感も何も持つことなく、フラットに4年間を過ごすことができた。
上を見ればうらやましいことばかりだが、下を見ることもなく、上を知ることもなく生きていけるというのは、或る一つのしあわせの形とも思える。
他者から見た良し悪しはともかく、自分にとってはそれはそれで非常に恵まれた環境だったわけで、結局のところ、大学生という限られた一瞬で終わる時代を、ちゃんと「大学生として」終わらせることができるのかということの方が大事なんじゃないかなぁとか。
大学生という時代は、想像以上の不自由をいかに楽しめるかということで、お金を使って解決するのはもっと大人になってからでよく、時代錯誤とわかれども、加藤登紀子の「時には昔の話を」のような時間を送ることができるなら、それで良かったじゃぁないかと、今更になってそんなことを思ってみたりするのだ。